こんにちは 牧師の武田信嗣です
私、武田信嗣の生まれは1959年、大阪。父も牧師でした。そんな私が、東京基督教短期大学(超教派の牧師養成の大学)、福音聖書神学校(日本メノナイトブレザレン教団の教派神学校)に行き、池田市の石橋キリスト教会で7年間副牧師をし、1992年から2024年まで32年間、兵庫県尼崎にある武庫川キリスト教会で牧師をし、2024年5月より、この教会の牧師になりました。あと二つの教会の牧師もさせてもらっています。(広島西、周南)
趣味:料理(上手でなく好き、以前の教会で食べた料理を思い出しつつ作るのを楽しんでいます) 、旅行(何しろ大きいものを見たい・また懐かしい香りを楽しみたい)アナログレコード・古いカセット鑑賞(雑音、すり減ったテープの感じが好き):ヤマハのピアニカと11ストップリードオルガンで遊ぶこと。
私の神学の立場(神学が気になる方々へ)
メノナイトブレザレンという教団は、アメリカ生まれの「福音主義」と長い歴史を経て生きてきた「再洗礼主義」間の対話で生きている教団です。歴史的には500年前のスイスの「再洗礼主義」に始まり、ウクライナで「敬虔主義」の影響を受けたり、ドイツ系バプテストを通して「カルヴァン主義」の影響も受けたり、アメリカでは「根本主義」と,後の穏健な福音主義の影響も受けたりするなかで、最近になって、再び再洗礼主義的アイデンティティーに目覚めた教団と言えましょう。ですから、今では再洗礼主義という枠組みで、多様な神学を包括する教団になっています。
このような動きのなかで、私個人は、Centerd(中心セット)という発想で生きています。つまり中心にイエスさまとの人格関係的な対話(祈り)があり、小規模な共同体の人格関係を大切にしつつ、公同教会の伝統も尊重しつつ、包括的に生きていく立場です。礼拝形式に関しては、リタジー(体制派礼拝学)を尊重しつつ、ノンリタジーという用語をあえて用いつつ、どのような文化(ポストモダンの影響下にある都会型文化にも)対応できるフレキシブルな礼拝神学で歩もうとしています。また二千年頃に、「二、三人の神学」という按手礼論文を書きました。これは「実存主義」神学の枠組み、「共同体主義」神学の枠組みだけでなく、二、三人の枠組みの神学もあるのではないか、というような内容で、今も尚追求中です。強い影響を受けた本は、マルティン・ブーバーの「我と汝」、マックス・ピカートの「沈黙の世界」、ヘンリー・ナウエンの「イエスの御名」、スタンレー・ハワワースとウィリアム・ウィリモンの「旅する神の民-『キリスト教国アメリカ』への挑戦状」、デービッド・アウグスバーガーの「親身にぶつかる」です。
もし私のことを知ってくださろうとする方がおられましたら、2024年3月にヨベル出版から出た「さけびはとどく」を読んでくださるとうれしいです。